ジョーカーというコメディについて

I went crazy. When I saw what a black, awful joke the world was. I went crazy as a coot!

Joker "The Killing Joke

 

はじめに

映画「ジョーカー」を見ました。

TLで言われているほど精神にくるものではなく、エンターテイメントとして面白かったのでついでにアマプラでダークナイトを見返してKindleキリングジョークを読みました。

 

「ジョーカー」の感想を色々見て自分でも考えたのですが、結論から言えばやっぱり私は「ジョーカー」はコメディだったと思います。

 

※以下ネタバレあり。

 

笑いについて

すなわち「緊張の緩和」が全ての根本なんですわ。

はじめグーッと息を詰めててパーッとはき出す。

グーッが「緊張」でパーッが「緩和」です。「笑い」の元祖ちゅうことンなると、我々の祖先が大昔にマンモスと戦うてそれを仕留める。

戦うてる時はエラ緊張でっさかい息を詰めてる。

けど、マンモスがドターッと倒れたら息をワーッとはき出して、それが喜びの「笑い」になったんや……とねェ。

 

桂枝雀「らくごDE枝雀」

 

唐突ですが笑いの構造について桂枝雀さんがこんなことを言っています。上に続いて

 

「変」ということはけったいなこと、おかしなことですね。

けったいなことということは普通と違う。

普通やないということは「緊張」ですわ。

で、いったん変なことがあってそれから普通の状況に戻ったら今度は「緩和」されて笑いがおこる。

 

桂枝雀「らくごDE枝雀」

 

とも言っています。

つまりは「変」なこと=「緊張」「普通」なこと=「緩和」に戻ることで笑いが起きるということです。

 

 

普通とは

ここで「普通」の定義の問題になるのですが、Googleで検索すると

 

ふつう
【普通】
いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。

 

とのことでした。つまり多くの人に共通のことが「普通」ということです。

 

すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。

 

トルストイアンナ・カレーニナ

 

という言葉もありますが、上の定義から考えれば幸福な人「普通」不幸な人「普通」じゃないと言い換えても問題ないと思います。

 

 

ジョーカー」の話に戻りましょう。

アーサーは「普通」ではない部分が色々ありました。

精神障害、貧困、母子家庭、ジョークセンスの無さ etc...

おそらくここで「普通」な人=幸福な人ほどアーサーが「変」に感じてしまって笑えなくなってしまったのだと思います。

桂枝雀さんも

「緊張」しすぎて「緩和」しきれんようになったら笑えまへんわね。

 

桂枝雀「らくごDE枝雀」

と言ってるように、「変」すぎると笑えなくなってしまうのでしょう。

 

さてアーサーの「変」=「緊張」はどのように「緩和」されていたか?という話になりますが、らくごDE枝雀の中で「緊張の緩和」が4つのパターンで分類されているのでそちらを元に考えていきましょう。

 

4つの分類

(1.)ドンデン

 ドンデン返しのこと。オチの前に一度緩和させてから緊張させて終わらせるオチ。

ジョーカー」で言えば

アーサーにも普通に彼女がいて幸せだったんだな」➡︎「全部妄想でした

アーサーは父親に捨てられた可哀想なやつだったんだな」➡︎「お母さんも精神病でした」など。

 

(2.)謎解き

 聞き手が不思議に思って緊張した後、疑問の回答が提示されて緩和するオチ。

ジョーカー」で言えば

アーサーはジョークのセンスがないのになんで観客に受けてるんだろう?」➡︎「全部妄想でした」など。

 

(3.)へん

 「普通」な話が最後に「変」なことが起きて「そんなわけないだろ!」という聞き手のツッコミで「普通」に戻るオチ。

これは「ジョーカー」には無かった気がします。ある意味アーサーのジョークは全部これかもしれないですけど。

 

(4.)合わせ

 セリフや趣向を合わせるオチ。

ジョーカー」で言えば

「この人生以上に硬貨(高価)な死を」

「I hope my death makes more sense(cents)」

 

4種類です。これだけ「緊張と緩和」お笑い要素が大量に含まれているんですから「ジョーカー」はコメディに決まってますね。 Q.E.D.〜証明終了〜

 

観客の視点・ジョーカーの視点

上記の4分類は「聞き手から見た4分類です。聞き手に共通の「普通」をベースにした笑いということですね。

ここでチェス盤をひっくり返しましょう。

ジョーカーの視点から考えると笑いの分類も変わってきます。

 

例えばマレーの番組でのアーサーのVTRについて考えてみます。

これは観客の視点から見れば「変」なアーサーにツッコミを入れて「普通」に緩和するという笑いですね。(分類で言えば「へん」)

 

反対にジョーカーの視点で考えてみましょう。

ジョーカーは「普通」にジョークを言っていただけなのにマレーにいじられています。

これはジョーカーにとっては「変」であり、「緊張」です。

これを笑いに変えるためにはどうすればいいのか?

 

 

簡単ですね。緩和すればいいんです。

だからジョーカーは拳銃というツッコミを入れて「変」なマレーを「普通」にすることで「緩和」しました。はい。満点大笑い。

 

電車内のサラリーマンも同じです。「普通」なジョーカーを「変」にいじるやつにツッコミを入れて笑いに変えているだけです。

 

だからこそジョーカーは番組で政治的意図はないと言っています。当たり前です。あくまでただのツッコミですから。

 

ジョーカーは「俺の人生は悲劇だ。いや違う、喜劇だ」とも言っていました。

これも視点の話で考えれば理解できるでしょう。

社会的な「普通」を元に考えたらジョーカーは「変」「不幸」「悲劇」の人生でしょう。ですが、ジョーカー自身自分の人生「普通」の「喜劇」として考える=社会こそが「変」な「不幸」な「悲劇」だと考えればその社会に拳銃でツッコミを入れることで笑いになるのです。

 

アーサーからジョーカーへ

キュリオス

「何故普通の暮らしを捨てたのか‼️自身の口から聞かせて頂けますか‼️

私は知っています あなたの苦しみ‼️ 何故あなたは狂気に至ったか‼️」

 

トガ

「普通の暮らしってなんですか?」

 

キュリオス 

「やっと答えてくれましたね」

 

トガ

「解放軍さん とっても素敵な世の中つくろうとしているので

私あなた達好きですよ 私も普通に生きるのです」

 

僕のヒーローアカデミア24巻

 

このセリフはヒロアカ最新刊でトガヒミコが言ったセリフです

世間的には「狂気」「変」と思われている人でも本人からすればそれが「普通」なんてことはよくあります。

 

最初はアーサーも自身を「変」と捉えて社会の「普通」に合わせようと思っていたでしょう。カウンセリングや仕事の描写からも伺えます。

しかし残念ながらアーサーは社会の「普通」に合わせることができませんでした

 

ゆえに自身の「変」を受け入れて、それこそが「普通」だと考えることで人生を「喜劇」としたのです。

 

そう考えると「普通」のピエロだったアーサーが「変」なヴィランのジョーカーになるというのは少し違う気がします。ただアーサーは「普通」になれなかっただけで何も本質は変わっていないのですから。

 

あとがき 

TLでジョーカーの感想をみていると人それぞれ違って後味がめちゃくちゃ悪いっていう人もいれば楽しかったと言っている人もいてなんでなんだろうなと考えたらジョーカーをどれだけ「変」だと思うかによるのかなって思ってこの記事を書きました。

幸福で「普通」な人ほど後味悪く感じてしまう気がします。

自分は「誰でもジョーカーになれる」っていうのはあまり適切ではなく、あくまで「普通の人」になれなかった人の物語だと思っています。 

 

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